「赤十字を見ると安心する」 胸に残る被災者の声
救護班 第1班 整形外科・リハビリテーション科 殿谷 一朗(とのがいいちろう)
私が所属した第1班は、当院の救護班としては最初に現地に入ったメンバーでした。たまたま数ヶ月前にトリアージの訓練や研修を受けたばかりのタイミングではありましたが、災害支援は初めての経験でした。地震が起きた時「出動するかも?」とは思っていたので、外来や手術のスケジュールを調整して備えました。
現地では、看護師・薬剤師・理学療法士を含む10人のメンバーを私と天田圭太医師がそれぞれ率いる2チームに分けて、七尾市の避難所を中心に巡回しました。現地に迷惑をかけないよう自分たちの体調管理を徹底し、避難所の資材や設備を圧迫しないようできるかぎり配慮しながら、心身の健康チェックやこころのケア、衛生環境・物資の確認などに当たりました。薬などもいろいろ持ち込んだものの、発災直後の「急性期」、いわゆる怪我などの治療は落ち着いており、こころのケアや体調管理を中心とする「慢性期」へ移行しつつあったタイミングでした。ちょうど現地の医療機関が再開したことも受けて、診療はしつつ治療は近くの病院に誘導する形がほとんどでした。
避難所は電気こそ使えるけれど水が出ない状況が続き、行政対応も遅れているようで、今後の生活に不安を感じる人たちの声をたくさん聞きました。「赤十字のマークを見ると安心する」という言葉には胸を打たれながらも、私たちにはどうすることもできないもどかしさも痛感しました。災害は日頃の意識が大切です。高松の災害対策についてもしっかり考えていかなくてはいけない、と思いを新たにした一週間でした。
非日常の中であらためて感じた 「本当の看護」の意義
被災地 医療機関支援 血液内科病棟看護師 新居田 留美子(にいだるみこ)
阪神淡路大震災の年に入職し、東日本大震災の時は子供がまだ小学生で、災害時の支援活動に従事した経験はありませんでした。今回、病院支援という救護もあると話を聞き、「もしかすると行くかも」「行けばいいと思うよ」なんて家族と話した翌日、本当に声がかかって、できるかぎりのことをしようと決断しました。
赤十字の支援活動には、現地の医療機関のサポートも含まれます。私は病院看護師支援のスタッフとして、1月27日から1週間、輪島朝市から徒歩30分ほどの市立輪島病院で入院患者さんの看護に当たりました。赤十字以外も含め全国から22人の看護師が集結し、「初めまして」からのチーム行動でしたが、自立的に動ける人ばかりで、コミュニケーションはとてもスムーズでした。
現地は電気こそ通っているものの、上下水道が完全にストップ。水が出せない・流せない状態では手術も分娩もできず、重篤な患者さんたちは既に別の病院へ搬送された後でした。私は一般病棟で患者さんの日常的な生活・治療介助を担当し、水が使えない中でも何とか清潔援助をしようと、循環式のドラム缶で供給される水をポットで沸かしてペットボトルに入れた簡易シャワーをつくりました。シートの上におむつをたくさん敷いて、排水をすべて吸わせるんです。「地震後初めて流水で手や頭を洗った」と喜ぶ様子や、寝たきりの人が自分で食事ができるようになるまで回復したのを見た時は、私も「看護ができた!」という深い実感がありました。「大変だったでしょう」とよく言われますが、むしろ本当の看護ができた達成感の方が大きいですね。日頃は当たり前に使っているインフラのありがたさ、現場での工夫と気づきの大切さを痛感しました。
輪島病院のスタッフも被災者なのに、先が見えない中で温かい看護を続ける姿勢には頭が下がる思いです。地震当日の様子やスタッフがどう動いたかを聞いて「もし高松で地震が起きたら…」という問題意識も生まれ、輪島での経験はいろんな意味で私を刺激してくれたように思います。