さぬきの健康と元気をサポートする高松日赤だより

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病院のこと

能登半島地震支援活動を終えて            災害時に赤十字ができること

2024年1月1日、新年最初の日没が近づく午後4時過ぎ、
石川県・能登半島でマグニチュード7.6・最大震度7の地震が発生しました。
現地の甚大な被害状況が次々と明らかになり正月気分など吹き飛ぶ緊急事態の中、
日本赤十字社も全国の支部が連携してただちに被災地支援をスタート。
当院も日本赤十字社香川県支部の一員として支援の一翼を担い、
1月中旬から順次スタッフを能登へ派遣しました。

災害支援は赤十字(わたしたち)の使命


現地で調整業務に当たる多田医師(左から2人目)

日本赤十字社はさまざまな法律の下で地域の公益に貢献する「指定公共機関」であり、国や自治体に災害医療を委託された組織です。災害が起きた際は医療救護だけでなく、こころのケアや救援物資の備蓄・配分、血液製剤の供給、義援金の受付・配分などを中心に、幅広い被災地支援を行います。

日本赤十字社の強みは、北海道から沖縄までを6ブロックに分けて全国を網羅するネットワークが確立しており、災害時は本社と全国の支部が一丸となって迅速に被災地支援に動ける組織力です。被災地では他にもさまざまな団体が救護・支援活動に従事しているため、赤十字の活動を統括する「日赤災害医療コーディネートチーム」が他団体としっかり情報共有・役割分担して、切れ目のない支援を目指します。

今回も、香川県支部からは当院血管治療科部長の多田典弘医師をリーダーとする災害医療コーディネートチーム4人が1月28日から2月2日まで現地入り。その後も2月下旬・3月上旬に2班・3班が派遣され、石川県と協力しながら被災地の災害医療の司令塔として現地の支援活動の調整に当たりました。多田医師は「赤十字には災害医療への意識が高く志あるスタッフが多くて頼もしい。災害は起きないのが一番だが、被災を他人事と思わず、医療者として日頃から備えておく必要を再認識しました」と語ります。

1/15(月)~
「こころのケア」活動立ち上げに奔走


こころのケア支援方針を急ピッチで立案する井上医師

当院から最初に能登へ向かったのは、精神科部長の井上幸代医師でした。日本赤十字社の「こころのケア研修部会」のメンバーであり、当院へ入職する以前はDPAT(災害時の精神医療を担う専門家チーム)の一員として2016年熊本地震の被災地を支援した経験もあります。日本赤十字社が能登でこころのケア活動を始めるに当たり、最初の調整を行うチームのリーダーとして、全国の支部から初めて派遣されました。「道路やライフラインが復旧していない中で発災から2週間が経過し、メンタルヘルスニーズが最も高まる時期。どこに・誰に・どんなニーズがあるかを丁寧に聞き取り、DPATをはじめとする他組織と連携をとって、最終的な出口戦略も見据えた赤十字の活動計画をゼロから立案するのが私の仕事でした」。


DPATと同室だった七尾市の拠点

被災者に対するケアは、既に現地でもさまざまな団体が活動中。一方で、被災者を支える支援者たちにも疲れが見えるという声が上がっていました。被災地を回り、関係団体と調整を重ねて「今回の赤十字の役割は疲弊した支援者をサポートすることだ」と感じた井上医師は、特に要望の高かった七尾・志賀エリアでの支援者支援に重点を置く方針を決定。19日には七尾市に拠点を設置しました。「幸い、拠点はDPATと同室だったんです。精神医療の専門家である彼らと協力しやすい環境に恵まれ、緊急時ならではの連携が生まれました」。


日赤こころのケア
誰でも実践できるごく基本的な支援から、精神保健医療の専門家が担う高度な支援まで、こころのケアの段階はさまざま。こころのケア、という言葉から想像するイメージは人によって違うかもしれませんが、日本赤十字社では「精神保健の専門家ではないが一定の訓練を受けている」ケア要員として、主に被災者や支援者たちを心理的・社会的に支える活動を「こころのケア」と呼びます。

1月21日(日)~
香川から最初の救護班が現地入り


中島鉈打農林漁家高齢者センター

こころのケア活動体制を整えた井上医師が香川に戻る前日、当院最初の救護班(第1班)10人が能登に入りました。全国の赤十字支部・赤十字病院には、医師・看護師・薬剤師・事務職員などからなる「救護班」が必ずあります。当院では月替わりの当番制で8つの班を編成しており、災害が起きたら本社の要請に応じてその月の出動班を派遣します。

能登半島地震は、過疎化や老朽化が進む地域事情、地形・地理条件などから救護活動が難航したエリアも多く、復旧が思うように進まず多数の避難者が出ていましたが、1月中旬は緊急性の高い医療対応が既に一段落しており、第1班もどちらかというと医療支援より巡回診療・現地医療機関への仲介といった日常的な避難所ケアを中心に活動。第1班に続いて、2月6日と19日からそれぞれ1週間ずつ第2班・第3班が派遣され、救護班としての当院の活動は2月23日で終了しました。

2~3月
こころのケアを続けながら少しずつ現地に引き継ぎ


支援活動をする側にも寄り添うこころのケア

発災直後の急性期を抜けると、こころのケアの重要性が高まります。ショックの大きい体験によるトラウマ、死別や喪失、ライフラインが不十分な避難生活といった災害のストレスは心身に深く影響し、時間の経過とともに回復していく過程では、発災直後は抑えていた感情が湧き出す、突然不安に襲われるなどの反応が出ることも少なくありません。こうした苦痛をやわらげ、精神的な病気などを予防しつつ回復をサポートするのが、こころのケアです。

救護班の一員としてこころのケア要員が参加する「帯同型」とケア要員が中心となる「独立型」のどちらかで被災地に派遣され、調整班が最初に整えた活動方針に沿って動きます。能登では井上医師が最初に立案した計画の下、被災者のサポートに当たっている支援者を対象に、ハンドマッサージや足湯スペースを備え、心身を休めながらじっくり話を聞くことができるリラクゼーションルームを開設。よりプライバシーを重視した出張型サービス「ホットタオルキャラバン」も実施しました。井上医師は「個々のスキル差もあり、実働が各班5日程度と限られた時間の中では課題もいろいろ感じましたが、日本赤十字の組織力の高さにはあらためて驚かされました」と振り返ります。

赤十字の災害支援活動はあくまで緊急支援であり、復旧が進んで現地の医療機関が対応できるようになるまでの橋渡し役でもあります。3月24日、井上医師が再び調整班として現地に飛び、今度は「被災地での活動を終了し現地に引き継ぐ」準備に奔走。当院からのスタッフ派遣も、4月2日から8日にかけてのこころのケア活動を最後に、すべて終了しました。
 


災害がまったく同じ条件で起きることはありません。現地がどういう状況にあるかによって支援体制も変わります。私たちは日頃の研修と現地での支援経験や反省を踏まえ、これからも「いざという時」に備えます。
(写真左)
精神科部長
井上 幸代(いのうえゆきよ)
(写真右)
血管治療科部長
多田 典弘(ただのりひろ)


表紙

なんがでっきょんな

vol.70

最新号

「高松日赤だより なんがでっきょんな」は、患者の皆さんに高松赤十字病院のことを知っていただくために、季刊発行する広報誌です。季節に合わせた特集や役立つ情報を掲載いたします。冊子版は、高松赤十字病院の本館1階の③番窓口前に設置していますので、ご自由にお持ち帰りください。左記画像をクリックすると、PDFでご覧になることもできます。

Take Free!

Columnvol.70の表紙のひと

1年目初期研修医

4月より新しく加わった10人の研修医です。今回の表紙は当院の目の前に広がる中央公園にて撮影しました。当日はよく晴れて、少し汗ばむ陽気でしたが若さあふれる元気いっぱいの一枚になりました。 まだまだ不慣れなこともあるとは思いますが、どうぞ温かい目で成長を見守ってください。